時々唸るファンの音

色々と勉強してみたいと思ってる人の備忘録。

指導する側・される側のすれ違いが起きたときに

今日のブログテーマは 「指導する側・される側のすれ違いが起きたときに」というもの。 私なりにすれ違いが起きた考察と対処を書いてみた。

はじめに

私は、社会復帰の足掛かりとして、いわゆるB型作業所に通っている。

私の通っているところは、決まった作業がある場所というよりは自分で目標を立てて、自分が思い描いたものを作り上げるのが主な作業だったりする。それが案外難しい。

同じ表現することで、私ができることと言えば音楽なのだけれども、そもそも私がやってる音楽は作詞作曲からの音楽ではなくて、あくまで再現をするという音楽なので、0から1を作り上げるというより、1あるものを10にでも100にでも引き出し表現していくと言ったものであったりする。

今回求められているのは、0から1を作ることで同じ表現でも結構違ったものだなあと言うのが個人的な考えである。

音楽であれば、多少の知識と経験があるから

例えば、ここの言葉の処理はこうした方がより聞き手に伝わるなあ!とか、ここの音の処理は少し丁寧にしたほうがおそらくもっとよいだろうなあという風に、相手に伝えるためにどう言う技法を使うべきなのか、ある程度だけれども明確に表現できる。

ただ、絵を描くこと…何かアート作品をを生み出すにあたって、そこの表現技法をほとんど知らないことが私の中で苦手意識を強めている可能性が高いと言うことに気づいた。

一応、指導員の方(絵のエキスパート)にそれとなく尋ねたものの、「まずは自由に楽しくやってみましょう」と言われてしまい、聞くタイミングとか完全に失って3ヶ月ほど過ごしてしまったが痛い。

何かを学ぶに当たって、アプローチ方法を知っていることとそれを表現できることはすごく大事なのだけれども、それに対して無知すぎると何にも表現できないから、指導側との意思疎通も取れなくなりどんどん負のスパイラルに陥ることがわかった。

指導側も何か手助けしたいけど、何がわかってないのかわからないから、手助けができないといった感じなんだろうな。

それはそうだなあ。

今回、その回避策として

  1. まずは指導員側から今までの表現した作品の中から私がやりたそうなことを推察してもらい、ピックアップしていくつか技法を紹介したりしてもらって、私の中に表現する方法のボキャブラリーを貯めていくこと。
  2. ある程度できたら、それを組み合わせて自分でやってみたいことを見つける事。
  3. 2をやる過程でできない表現があった際に表現方法のストックをさらに拡充させること。

これをやっていけば少しずつやりたいことに対してのアプローチ方法が増え、やってみたいことができた際に実際に表現できるのではないか、と思いましたとさ。

少しでもいい感じに作業ができるようになったらいいなあと思った今日この頃。